序論
たまにホラー映画が見たくなることってないだろうか。
私にはある。
より正確に言うと、「和物ホラー」が見たくなるときと「洋風スプラッターホラー」が見たくなるときがあって、今回は前者の気分だったので「真・鮫島事件」を見たあとに表題の「リング」を見た。
多分見たことはあるのだが、なんとなく原点に戻りたくなりNetflixでポチってしまった。*
*ちなみにその後「呪怨」と「着信アリ」も見た。
本論
さて本論。
ストーリーなどが知りたければ以下のようなサイトを見てもらえればと思うが、今回は私にとって印象的だったポイントを語りたい。(ネタバレになる。)
参考:https://cinemarche.net/horror/ringu-nakanisi/
ポイント① ビデオを指差す男
物語終盤。
貞子の遺体を古井戸から「救出」し、ビデオの呪いを(主人公のタイムリミット前の)間一髪のタイミングで終わらせたと考えていた主人公と元夫。
しかしその1日後、元夫は呪いによって亡くなる。
助かった自分と元夫との違いは何か。私がして彼がしなかったことはあるか。
そう思案している主人公がふとテレビに目をやると、あのビデオに映っていた男がソファに置いてあった鞄を指差している。
そこで気づく、
「私はダビングしてビデオを(元夫に)見せた、でも彼はそれしなかった。」
と。
書いてみたけど、あの男なんなん。
私は最初思った。これはあの元夫だと。
彼はあの凄まじい呪いに取り込まれながらも、その力(リーディング・シュタイナー的な)で息子の命を救うヒントを伝えたのだと。
でもどうやらあの男はビデオに映っていた男らしい。
意味不明やろ。。
いや待てよ、あの男は、ダビングすれば呪いが広がるということを唯一気づき得た主人公に介入することで、他の犠牲者を出さないように手を打ったのか?
(あるいは貞子側で人の手を介して呪いを広げるチャンスと見たのか?)
だったら意味が分かるのでそう解釈するが、少しご都合主義的に見えた。
ポイント② 主人公最後の決断
これが「リング」が傑作たる所以だろう。
それは、呪いの恐ろしさは人に移すことはできるが消すことはできず、結果としてこの世に残り続けるという性質にあるのではなく、呪いにかかった人間に強制的に命の選択を迫るところにあるということだ。
主人公は最後に「父」と「子」の命を天秤にかけ、前者を犠牲にして後者を生かす選択をした。*
*おそらく彼女は「父」にあのビデオをダビングして人に見せるよう指示はしなかっただろうから。
その上で彼女は、
- ダビングしてビデオを回し続ければ、少なくとも彼女の「父」は助かるが、どこかで伝言ゲームが途切れて「誰か」が亡くなるかもしれない。
- 一方、「父」がビデオをダビングしなければ、「父」は確実に亡くなるが、知らない「誰か」が亡くなることはない。
という2つの選択肢を更に比較考量し、「身内のミス」(息子のビデオ視聴)によって残存した呪いを、「身内の死」(父の死)で償うべきという彼女なりの「良心」によって、結果後者を選び取ったものと考えられる。(彼女は2回選択をした。)
ある意味で責任感があると思えるが、非情な決断である。私であれば前者を取るだろう。
だが、こうした「選択」を強いることが呪いの真の恐ろしさなのだ、と解釈もできるので、これは深いな、と感じた。
結論
「リング」は和物ホラーというジャンルの源流となるに相応しい作品だったのだなと思う。
以上。